« ワーク・ライフバランス夜カフェ(2009/9/7)@新丸ビル | トップページ | 大串亜由美さん出版記念講演(2009/9/10)@丸善丸の内本店 »

我思う、ゆえに我あり

先日の勉強会から帰宅して22時半。その後夕食を食べながら、妻と交わした会話がとてもおもしろかったので、記録しておきます。

僕は小学校くらいから大学生の頃まで、週に何度も夜眠る前に以下のような思考に支配されていました。

この広大な宇宙にあって、その中の銀河系にある太陽系の一惑星に生を受けている。この宇宙という規模を相対的に認識したときに、自分の存在の証明は果たして何なのか。そもそも宇宙なんてものは誰がどう作り出したのかもわからないし、この宇宙以外に別の空間や時間が存在していることの否定もできない。宇宙が「存在している場所」というこの定義もわからない。宇宙そのものの存在を照明することができないのに、自分の存在の証明は何なのか?もしかして究極の「無」や「偽り」ではないのか?こうやって思いを巡らせている自分のこの思考自体、ナニモノなのかわからない。

きまってこういう思考が夜寝る前に訪れ、思わずタオルケットを握る手に力が入ってしまうのです。

小学校の頃に父親がシリーズで買ってくれた旺文社ジュニア向けの科学書シリーズがありました。今思い返せば内容は結構難解で、おそらく中学生レベルを対象にしていたものであったと思います。この中の一冊に、宇宙・天文を取り扱った巻ががありました。天文やギリシャ神話が大好きだったこともあって、この巻はよく読みましたね。

しかしそんな漫画など一切ない硬派なページのとある解説図。球形の宇宙という空間がいくつもいくつも隣り合って存在しているという図。この図を初めて見たときの恐怖がすごかったのを今でも思い出します。この理論がどういう名称なのかはわかりませんが、とにかく自分の存在の証明ができないことへの恐怖がものすごかった。

ただ、大学に年齢が近づくにつれ、そうかまさにこれが「我思う、ゆえに我あり」なのかという一応の結論に達しました。cogito, ergo sum。自分の存在を否定しようとしている自分のこの意思や思考こそが自分の存在の証明なのだと。

---

こんな話を夕飯を食べながら妻に話したのです。

すると妻は、「そんなことを考えたこともない」と。つまり「男性特有のロマンチシズム」ではないのかというのです。「女性はそんなことより、中高生の時は特に外面への意識が強くなってくるので、そんなことを考える暇すらなかった」と言うんですね。

まあ、「それこそ女性の思考だ」と論ずることができるほど女性を知らない僕ですから、もちろん決めつけることはできませんが。でも、歴史的に男性の哲学者が多いのはもしかしたらそういう側面もあるのかな、と思ったり。

でも妻は続けて、「あなたはずっと寂しかったんじゃないか」「ずっと誰かを求めていたからじゃないか」と言うんですね。そうか、そういえば確かに大学に入って妻とつきあいだしてからは寝る前にそういう思いになる回数と頻度が減ったな、と。

確かに他者に受け入れられることも「自分の存在の証明」です。そして子供たちがいることも自分の存在があってこそのこと。こうやって大人になる課程でたくさんの自己認識の機会や相手が増えていくんだなと思いました。

まあ、男は悩む生き物なんですね。そして女に認められて初めて自分に対する安心感が出てくるものなのかも。だから最近何かの記事で見たように「好きになった女性を神格化しがち」なのかもしれません。

でも何なのだろう。一晩寝意識が途切れて、目が覚めてその意識がそのまま「自分」として継続するのはなぜなんだろう?とかその思考と宇宙との相対性にどういう意味があるんだろう、と思うとやっぱり怖い。

「我思う、ゆえに我あり」そうか、思考を止めてしまうと、自分自身の存在も証明しようがない。これが今の自分の焦りにもつながっているんだなと思います。だから僕はこういう畏れを持っている自分自身をしっかりと認めてあげたいし、そんな自分自身に対する思考を止めないようにしよう。そう思った夕飯時の話でした。

|

« ワーク・ライフバランス夜カフェ(2009/9/7)@新丸ビル | トップページ | 大串亜由美さん出版記念講演(2009/9/10)@丸善丸の内本店 »

日々の気づき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ワーク・ライフバランス夜カフェ(2009/9/7)@新丸ビル | トップページ | 大串亜由美さん出版記念講演(2009/9/10)@丸善丸の内本店 »