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実録3.11②職場宿泊~夜明け

 

■夕食中に偶然通じた家族との電話
備蓄配給を受けてフロアに戻ると、社員食堂の臨時営業が始まっていました。エレベーターが使えないので、職場のメンバーで連れだって、階段でフロアを再度下がりました。

ここでも食堂に入るまでの列が大行列で、この時点であきらめる社員もちらほら。メニューも二種類固定で、始めにどう並んだかでメニューが決まり、しかも変更ができないという運営方法でした。しかも通常のプリペイドカードは使えず、現金による前払い制。

そうして得られたうどんを食べていると、不意に携帯電話が鳴りました。混み合っている回線を何とかくぐり抜け、妻からの携帯電話コールがつながったのでした。やはり声を聞けることの安心感は何とも言えないものがありました。

いつ切れるともわからない回線を必死に気持ちでつなぎながら、妻と息子と娘、それぞれとしっかり話をするこができました。娘から「パパいつ帰ってくるの?」と言われ、「今日は帰れないんだよ。ごめんね。」と謝りつつも、何とも和んだ気持ちになったものです。

■次々と明らかになる被害の大きさ
自席に戻り、Twitterで知っていたUSTREAMのNHK/TBSの放送を視聴することにしました。会社のインフラではありましたが、この際そうも言っていられません。会社からの外部サイトアクセスが混み合っているせいか、なかなかスムーズには見られなかったものの、この貴重なライブ情報源に何人か集まってきましたし、とても有効な手段でした。

しかし、津波が港を飲み込む映像が流れ始め、地震の揺れだけではない被害の大きさに絶句。世闇に燃えさかる気仙沼市の大規模な火災の映像は、見ていて本当に辛いものがありました。

■両親・弟妹・祖母の安否
我が家の無事は確認できたものの、次の懸念は両親・弟妹・祖母でした。東京で働く弟妹からメールがあり、3人の無事は確認し合うことができました。妹は長い距離を会社の人と歩いて帰宅しているとのこと。また、医師である弟はちょうどICU勤務で、「余震で人工呼吸器や挿管チューブが倒れたり外れたりしないようにしている」という連絡がありました。自らの安全を確保しつつも、患者さんの安全を確保しなくてはならない、そんな弟の姿に敬意を覚えました。

二人とメールのやりとりをしていたものの、両親と祖母の安否がまだわからないとのこと。メールもタイムリーに届かない状況であるものの、とにかく発信し続けることでいずれも時間をかけて確認することができました。従姉妹と連携して安否を確認した妹のお手柄。

ということで一通りの安否が確認され、ようやく一息つけたのでした。

■気持ちを落ち着かせるために始めたこと
一息ついてからが、長い時間の始まりでした。家族の安否は確認できたものの、やはり実際遭うまでは落ち着けないものです。中規模の余震は相変わらず続いていましたし、それに合わせて周囲の複数の携帯電話が、受信した緊急地震速報を合唱しています。

落ち着くために始めたのは、原稿を書くことでした。BloomStyleの特集記事の原稿は、何にも問題がなければ翌々日を〆切としていましたので。備蓄のカンパンを食べながら、黙々と書き続けたのでした。(結局は発刊日を延ばすことになりましたけれど)

原稿も無事に終わり、その後は仮眠をとることにしました。椅子のリクライニングを倒して、足を伸ばしながら目をつぶりました。でも蛍光灯が明るくてイマイチ寝付きが悪いので、ブルゾンを被ってあかりを避けました。

■そして迎えた夜明け
ぐっすり眠れたかというと、もちろんそうではありませんでした。4:00頃にあった大きな余震で目が覚めて、それっきり起き続けることに。

あまりのことで忘れていましたが、それから起きあがって歯を磨きに。そしてインスタントコーをつくって自席に戻りました。

すると次第に夜が明けてきました。真っ暗だった外の風景を、朝日が次第に明るく照らしていきます。家族4人が再開する一日が始まった。朝日を見ながらそう思ったのでした。

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