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震災で再確認した情報発信側の重大な責任

震災からあっという間に日々が経過しました。既に1ヶ月半、早いようでいて、ここまで生活に影響を及ぼしていますし、安否不明の方の数も一向に減りません。いかに大きな災害だったのかということを毎日実感せずにはいられません。こんなに重苦しい気持ちで過ごした日々が今まであったでしょうか。

そんな中で、「情報を発信する」ということに関して思うところがありましたのでまとめてみました。

■依然として安心できる水準にならない放射性物質問題
生活に最も大きな影響を及ぼしているのは、間違いなく放射性物質の問題です。野菜や水への汚染問題は、いつになったら安心できるのでしょう?

ホウレンソウに水菜、レタスにサニーレタスといった私が好きな茨城県の野菜たち。大気中に飛散している放射性物質の付着、雨によって地中に含まれていったり、川や地下水から水にも含まれている状況が進行しています。低レベル汚染水の太平洋への放出もあって、茨城は農業・漁業共に大きな痛手を受けることになりました。

放射性物質の半減期とか、問題ないレベルだということ自体は理解できる情報なのですが、依然として放射能漏れを福島第一原発が抑えられていない以上、まだまだ安心できるレベルとは捉えていません。

■千葉県の水質検査の問題
追い打ちをかけるように、千葉県の水質に問題が及びました。浄水場において基準値を超える放射性物質が含まれていたことが、採水した日より一週間後にわかったというニュースが発表されたのです。

私は放射線物質の専門家ではありませんので、どのくらい計測が大変な作業なのかについては知識がありません。おそらく試薬や検査機でさっとわかるものではないのでしょう。

しかしそんなことであるのならば、「検査には相当な時間がかかること」「どのような順序で検査をしているのか」等の情報を開示するべきでした。これをしないで危機感について疑われても、文句は言えないでしょう。

■情報を発信するということの重大な責任
今回の一連の報道やネット上で流布している情報を見て、情報を発信することの責任の大きさに改めて気づかされました。

ソーシャルメディアやインターネットが広く普及した現代は、誰も情報の発信源になり得ます。専門性の浅い人がネットでうわべだけの情報を目にし、それを更に人に拡散する。そのことで批判や不信ばかりが募っていく…こんな構図に辟易しています。

かくいう自分自身も、地震当日の夜は「阪神大震災の時は本震から3時間後に最も大きな余震があった」というまことしやかな情報に踊らされ、周囲にまで伝えていたほど。のちにこれは正しい情報ではないとわかりましたが、

特に自分に近い人がこういった状況に追い込まれて視野が狭まっていると、もの凄く疲れてしまいます。知ったかぶりであることの危険性を、今回ほど感じたことはありません。

ネットにおける様々な情報によって視野狭窄にならないためには、やっぱり自分でもしっかり幅広く勉強すること以外にないと思います。そして情報源を信頼すること。その意味でも情報発信元に課せられた責任は絶対的に大きいと思うのです。

専門的な知識のある方は責任をもって情報を発信することがいかに大切か、ということです。軽々しい気持ちで情報を発信することは、そして受け手はそれをしっかりと受領して、また判断をして行かなくてはいけない。この循環がうまく回らないと、世には不品ばかり募っていきます。

当たり前のことではありますが、立ち止まって注意しないとつい忘れてしまう。現代社会がそんな状態に陥っていると言えないでしょうか。

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