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2011年5月

放射性物質問題:学校の環境を改善するためにPTAとしてできることとは

放射性物質の対応に関して、昨夜急遽小学校のPTA会長との会談の場がセットされました。同じマンションに住む保護者の方からお声かけ頂いたもので、夕食後に学校近くのファミレスでお会いしてきました。貴重な機会を頂き感謝です。

そのときにお話しした内容から色々と思うことがあったので、以下に記したいと思います。

■公立学校の独断では動けない
国、千葉県、柏市といった行政・自治体の見解、そして文部科学省、県教育委員会、市教育委員会。これらの下に連なる末端の組織である公立小学校であるため、なかなか独自の判断では動きづらい組織であるということを、まずは改めて知りました。

これに先立って、先日校長先生名で「放射能問題に関する学校の対応について」という書面が配布されていたのですが、内容は一保護者としては本当に不十分。ただ、これは公立学校の立場としては一定の限界ギリギリの表現なのだろうなという事は理解できるものでした。

しかし、どんなに良い施策を校長先生や学校として打ち出したとしても、それが「放射性物質から子供たちを守る」というシンプルな本質に基づく判断であったとしても、「勝手なことをするな」という圧力が働くものなのでしょう。

よりよい校内環境を目指すこと、そして子供たちの安全と健康を守ることが学校だと思いますし、その意味でも校長先生がどのような考えでいらっしゃるのかを是非とも聞いてみたい。そんな機会が欲しいと切に思いました。

■行政に文句を言う前にやらなくてはいけないこと
千葉県では東葛6自治体が千葉県に申し入れた結果、今日から3日間かけて一つの市あたり3ヶ所の放射線測定をすることが決定されました。大津ヶ丘公園などの場所が、柏市でも計測の対象になっています。

(参考)
原発事故に伴う放射線量率等に関する市の考え方(2011/05/18)
県による市内の空間放射線量の測定等について(2011/05/30)

しかし、そもそも原子力発電所事故が発生してから2ヶ月が経過した時点での千葉県への申し入れでしたし、その後二週間経ってようやく「計測」が実施されるという状態です。このスピード感のなさには唖然とします。このままでは具体的な改善施策は相当先になるのだろうということが推測されます。(今後は県に頼らず独自に測定することに言及されていたのは良いポイントだと思いますが)

そんなことをしている間にも、子供たちが放射線に曝されています。数ヶ月先になって実施される(と思うしかない)施策が施されたら、それまでの期間の被曝量を取り戻せるかというと、そういうことではないのですから。

柏市は放射線量の特に高い地域として大変注目になっていますが、市の対応や広報には大いに疑問を抱いています。この対応自体は大変憂慮すべき問題であり、引き続き自治体への働きかけは継続して行かなくてはいけないと思いますが、それだけでは事の本質の解決にはならないことを認識しなくてはいけません。

■PTA・学校に何を求めていくべきか
そんな状況において、PTAという組織や会長さんに対して「市や県や国の対応がおかしい」「値を見直すべきだ」ということを発意するのは矛先が違うと思っています。あくまでもPTAとしてできる範囲は、学校とその通学区域にある訳で、それを超えることは(言いたいものの)言うべきではないでしょう。

では、学校の安全性を高めるためにどうすればよいのか。

個人的にはPTAや学校にただ放射線量の計測を求めても意味がないと思うのです。昨日も書きましたが、保護者によって危険度の意識もバラバラですし、PTAの役員の皆さんでも統一した見解がある訳ではないでしょう。それに基準値への意識もまちまちですし、議論は空中戦になるのは必至で、収束するとは到底思えません。

■放射線の値に拘泥しない現実的な対応を
では小学校の環境を改善するために、どうすべきでしょうか?

考えた末に私が至った解は「放射性物質の値に拘泥しない現実的な対応をとる」ということです。

放射線の値については本当に私も心配ですし、把握しておかなくても良いという趣旨ではありません。事の本質は一刻も早く学校の環境を改善することにあるのですから、値の議論から外れた施策が重要だと思うのです。

たとえば、「放射性物質に対する不安がある」ということは誰しもが共通する話。「放射性物質不安が少しでも改善するように、外壁や窓ガラスの掃除、除草といった活動を始めませんか?」という考えです。

それに、本来は値を計測してから除染前後の値の変化を捉えることが必要だとも思います。ただ、この問題は一刻を争う問題です。計測をどうやる、だれがどんな機械で・・・なんて悠長なことをやっている場合ではありません。

■PTAの総意形成と他校・他団体への伝播
はじめは数人の保護者だけでも構わないと思っています。やればやるほど改善するのですから。回数と頻度が大事でしょう。

そしてこの頻度を上げて、徐々に輪が広がっていくことが望ましいでしょう。「この小学校がこんな事をやっている」ということが他校のPTAや地域の自治会などとつながっていく。そして学校側が子供たちの安全を守るという本質に立った施策を打ち出すためのボトムアップの力につなげたい。同時に懸念される給食の食材の内部被曝の問題解決にも、つなげて行かなくてはいけません。

そしてそれは大きなうねりになって柏市だけではなく他の市にも波及するでしょう。県や国を動かす力に発展させたいのです。不可能な話ではないですし、誰かが動かなくてはいけないこと。

こういったときに、仕事や地域以外のネットワークを複数持っているということが大きな意味を果たすのだと思います。私にはBloomStyleがあり、発足しようとしているNPOがある。これは自信です。

■地域を支えるPTAへの父親の積極参画
こういった活動を進めるにあたって、昨夜会長さんは「平常時でも、もっともっと父親の皆さんの参画をお願いしたい」とお話ししていました。これは印象的でした。

普段はほとんど関わらないくせに、こういうときだけヤイヤイとうるさく言う、これは確かに話を受ける側としてはたまったものではないでしょうね。

私はこれまで幼稚園や学校、地域の行事に積極参画してきたのでですが、小学校のPTAだけは少々関わりが薄かったかなと自省しました。会長さんとは子供たちと幼稚園が一緒だったこともあって、私が関わってきたことについてよくご存じだったことが嬉しいポイントではありましたが、まだまだこういった話を進めるには足りませんね。今後はより一層積極的に参画していきたいと思います。

"Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country."

頑張りますよ、私は。

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人間関係の亀裂を生じさせかねない放射性物質への意識の温度差

東日本大震災の発生から2ヶ月半が経過しました。これだけの時間か経っているのに、私の気持ちに重くのしかかってくるのは、他でもない放射性物質の問題です。

この放射性物質は人の目に見えない脅威であるため、意識の温度差が本当にすさまじく、時には人間関係に亀裂を生じさせかねない状況に至っているという実感があります。

■夫婦での会話
そもそも震災発生当初は、私自身放射性物質に関して強い注意を払っていませんでした。福島第一原子力発電所との距離もありますから、放射性物質が降下する影響をとても小さく見ていたのです。

特に、発展途上国育ちの身にしてみれば、世の中もっと気になる汚染物質ばかりですし、黄砂の有害性についてのニュースも耳にして久しいし。放射性物質だけを気にしていても仕方がないという思いを持っていました。

しかし、妻は違いました。はじめの水素爆発が遭った時期から、相当な注意を放射性物質に対して向けていました。当初は私は妻の対応を、やりすぎだとさえ思っていました。茨城産や福島産、そして千葉の野菜は柏市の食生活には欠かせないものです。太平洋の近海の魚も大好きですし、妻がこれらの食材を敬遠することに関しては、正直反発を持っていたのです。

しかし、実際の降下量や線量計測値を見るに付け、これはただならぬ事態が身の回りの環境汚染になって現れている、そう感じるに至っています。そして低レベル汚染水(といわれる放射性汚染水)の太平洋への放流を行ったことも、決定的な意識変化のタイミングとなりました。

それに何より、子供たちを被曝から守りたいという妻の強い気持ちを感じたのが大きなポイントとなりました。

■妻と友人との論戦
そんな折、同じ地域に住む友人がSNSに発したつぶやきに妻がコメントを返したところ、思わぬ論戦になってしまうという事態が起きました。「東京に住む人間が放射性物質について騒ぐな」というニュアンスの表現でしたが、これに妻が妻の感じるままの表現で返したことが発端となって、その後立て続けに反論を受けたという流れでした。

帰宅すると妻に元気がないので、聞いたところ上記のやりとりに悩んでしまったというのです。その友人とは家族ぐるみでおつきあいするとても仲の良い家庭ですので、本人も相当落ち込んでいました。

このやりとり事態はほとぼりが冷めるのを待つしかないでしょう。しかし、同じ学校に子供を通わせる親同士がこのような温度差を抱えるということは、子供たちがその影響を受けるということに他なりません。我が家では3月以降今に至るまでマスクをして通わせています。周りはほとんどマスクをしている子はいないので、子供たちも相当なストレスを感じながら通っているのではないかと思います。

ここまでのことを必要ではないという見解を持つ親もいるでしょう。そのため、学校で子供同士何かあった可能性もありますが、これについては特に息子から言われていませんので、現時点ではまだ特に気にしていません。

■放射性物質に敏感な親は、バカな親?
私にもこんな事がありました。

職場のとある方の親戚が通う群馬県の自治体では、学校からマスクと防止の着用義務が通達されているそうです。こんな話を聞いた別の方が「まったくバカな親がいるから学校も・・・」と話し始めたのです。

ここで私が言葉を遮ってしまったので、その方がどんな思いで発したコメントかは定かではありません。しかし「放射性物質に関して、口うるさく言う親がいる」というニュアンスは確かなものでした。

■正しい情報があまりにも少なすぎる
両方の案件とも、その発言をした方を責めるつもりはありません。なぜなら、それを判断するに足るだけの正しい情報が、ほとんど存在しないからです。国や自治体も、これまで注意してこなかった放射性物質という脅威に対して、基準が全く定まらないということでしょう。

一方で、専門家と呼ばれる方々の見解もまちまちであり、且つわかりにくいものです。今こそ日本の学術の叡智を結集すべきなのに、2ヶ月以上経ってもはっきりしないのはなぜでしょうか?ちまたにあふれる放射線量計測器の正しい使い方や線量を計測する基準もまちまち。これではどうしようもありません。

そんな状況において、人間関係に亀裂を生じさせかねないこの問題。冒頭にも書きましたが目に見えない物質であるだけに、更にそういった性格を帯びています。

とにかく、歪曲されていない事実が包み隠さず公開され、しっかりした基準に基づいて正しく怖がる。そのような状況になることを切に望みます。

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壮絶な結末に涙:あまん きみこ『きつねのおきゃくさま』

久しぶりに児童書の書評を。息子の昨年度の国語の教科書に掲載されていたお話です。

■キツネの下心
お腹をすかせたキツネが抱いたひょんな下心から、ひよこやアヒル、そしてウサギとの奇妙な共同生活が始まります。メンバーが増えてくる過程で、少しずつ少しずつ変化していくキツネの心。

優しい言葉をかけてもらったことのないキツネが、ひよこの純粋な感謝の言葉によって、心の中に生まれた小さくて暖かい変化。これをくすぐったく思うキツネの反応。そして、次第に信頼に包まれていく小動物たち。

■キツネの勇敢で壮絶な最期
そんなキツネは、自分を信頼してくれている小動物たちの盾になり、勇敢で壮絶な最期を迎えます。

私はこの結末を、涙無くしては見られませんでした。今でもこう書いていて思い出すだけで、じわっと来てしまうほどです。

そんなストーリーが、軽妙な語り口でリズム良く進んでいきます。

■なぜキツネは最期に笑ったのか
キツネは「恥ずかしそうに笑って」死にます。

この笑いの意味はとても深いものがあります。キツネはなぜ笑ったのか。「自分の食事をオオカミから守ることができたから」なのか、「自分の仲間を守ることができたから」なのか。

「恥ずかしそうに」という言葉が表しているのは、おそらく後者の「自分の仲間を守ることができたから」なのでしょう。善行などしたことがなかったキツネにとって、守るために戦うことは、最高にくすぐったくて、また安心して笑ったのでしょうね。

■人生を変える存在との出会い
始めに出会ったのがヒヨコだったということも、キツネにとっては大きな意味のあることだと思います。アヒルやウサギとは違い、明らかに成体になる前のヒヨコ。キツネに対する恐れが先に立たず、純粋にキツネの優しさを受け入れ、それが結果としてキツネの人生を大きく変える存在になりました。

これがウサギやアヒルであったなら。きっとキツネの存在は警戒され、これまでと同じ刹那的な狩猟生活から抜け出すきっかけすら、また他の存在を信頼することすらできなかったのだと思います。

始めに出会う存在がいかに貴重か。人生を変える大きな存在に、適切なタイミングで出会うことができるのか、等と色々なことを考えてしまいます。

■信頼による強い絆
全くの見ず知らずの存在同士が、しっかりとした信頼の強い絆によって結ばれ、お互いの存在がかけがえのないものになっていく。捕食関係にあって命すら狙われていた関係でもあるのに、ヒヨコの抱いた純粋な感謝の気持ちから芽生えた信頼がそれを上回っていく。

捕食関係は大げさだとしても、明らかにうまくいかないと思われるような人間関係を成功させなければ行けないじょうきょうにおいて、相手への純粋な感謝の気持ちを持つことが、信頼関係につながっていく。そんな教訓もあるような気がしています。

・・・そうとも、よくある、よくあることさ。

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